年収だけでは、幸福ではない
仮に、年収一〇〇〇万円で仕事が面白い状態と、年収三〇〇〇万円でも仕事が面白くない状態を比べると、前者の方が、日々を幸せに送れるのではないだろうか。たとえば、お金があって、広い家に住んでいても、家で過ごす時間はそう長くないかもしれないし、飲食にかけられるお金が違うといっても、一日の時間の中で、飲み食いに使える時間は仕事の時間ほど長くないし、毎日飲めるというものでもないだろう(私は「ほぼ毎日」飲みたいが)。
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安酒を飲んでいても、楽しい仕事仲間となら、高級店(それはそれで、とてもいいものだとしても……)で飲むよりもずっと楽しい、ということがあり得る。子供の教育とか、世間的な見栄といったことを考えると、また事情が違ってくるかもしれないが、年収だけでは、幸福の度合いは決まらないものだ。電機メーカーと金融業の年収差について考えたが、電機メーカーに勤めている人が、仕事に満足した状況にあるなら、お金だけの理由で、これを捨ててまで、金融業に移ろうとはしないだろう。したがって、労働者が、お金を理由に、電機から金融に殺到して、需要と供給を通じて、両者の賃金差が修正されるというような、経済学の教科書が喜びそうな事態が起こらないのだろう。もちろん、金融の仕事にも面白さややり甲斐かあるかもしれないが、電機メーカーの社員にとっては、転職が本当に可能で、かつ、転職した場合には仕事は面白いのか、という点に大きな不確実性があるので、現実に、大規模な人材移動と賃金の均等化が起こらないのだろう。
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